わたしの世代は、文系理系で分けられてもそれが当たり前だったし、生きていけたけど、これからの世代はそれじゃいけないだろう。
ITが激進している今、文系と理系を分ける教育はナンセンスかもしれない。
今目の前で扱っている機械の塊たちの仕組みがよくわかりませーん。とか言ってる場合じゃない。
未来は科学技術がさらに進んでいくのに、機械音痴でーすとか言ってる場合じゃない。と思ったはなし。
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最近は子どもとともによく科学館へいく。
宇宙のうまれたビックバンの話から、宇宙に飛ぶ人口衛星の話まで。時をかけぬける。意味がわからなくてハゲそうになる。
厳密に言えば、ひとつひとつわかるように展示されているので、ひとつひとつは理解できても、これらが足されたり引かれたり、ひっくり返って歪ませたり、とか色んなことして今の技術がうまれてるんだよね。
へぇぇ、すげー!!
しかない。のだ。情けない。
わたしは一体今まで何をやって生きてきたのだ。
そんな気持ちになる。
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たとえば
人力で投げてた石は道具を使って遠くに投げられるようになった。
しかし、投げる力が強くなってスピードがはやくなって肉眼では見えないけどきちんと目的地まで届く。
で、届く場所がまちまちだったけど、望む位置に正確におさまるようになった。
さらに、はやく運ぶために物質を分子レベルに解体して、再構築して運ぶ。みたいな。
石のスピードが見えないけど、確かにあることがわかる時代だったのに、知らない間に物質を分解して運ぶとか意味のわからないことができるようになっていて、そうできるようになる過程の理解がすっぽ抜けているみたいな状態。
携帯電話ってまさにそうじゃない?携帯の仕組みのことよくわからないな。
それでいいの?
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これらのつながりがもう少しわかって生きていたら、世の中もっと面白く見えていたし、わたしの得意な感情論や想像力ももっと違う方向に生かせたのでは?とも思う。
わたしは看護師なので、医学の側面から科学を捉えるしかできない。医学も科学進歩のうちのひとつだけれども、看護はどちらかというと、身体的に起こる科学的な約束事を理解したうえで、人間を看る科学なので、そこにその科学を進化させて発展的に見る視点はなかった。
そして、わたしはとにかく文系で感情的。
理系の学問はことごとく苦手で出来なかった。
なぜか国語、英語、社会、音楽、美術、体育そんなものが好きだった。
そして、高校の選択授業では科学と物理とはおさらば。完全なる文系脳のできあがり。
詩的な表現や絵画の世界にどっぷり浸かることはできても、分数の計算でひっくり返してかけるところで躓き、解の公式の解が理解できずに止まった。看護学校の受験は国語、英語、生物、数Ⅰで受験したが、生物、数Ⅰで苦戦した。
わたしの子どものころは、まだ黒電話だった。有線だった。
線が繋がっていたら、わかる、なんか声が伝わりそうなイメージするよね。だけど無線のイメージがもう難しい。電波について詳しく説明できないな。電波は電波、としか言えない。わたし。
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時代を追いながら、科学の変遷を見ていくと、木のからくりを作っていたのに、鉄を固めて電気ででっかい機戒を動かしたと思ったら、きゅうにほっそいほっそい鉄線がぐるぐる巻きになったような構造の繊細なものでビーム出して物動かしてます。みたいな。伝わらないかな。汗。
これってでも勉強してきてたら、もう少しよくわかったんじゃないかなと思うんだよね。
子どもにはわたしのようなアホには育てたくないと思う。
言葉や感情や道徳や、人間が生きていく上で大切な基本的なこともないがしろにはできない。
でも、これから生きていく上で、大切な、私たちがなぜ存在してい、存在する上でどんな約束の元、この身体が成り立っているのかを科学で知ること。
知ればどんな風に発展する未来があるのか、知ってほしい。さらに、その発展する未来に乗ってあなたは生きて行きなさいと伝えたい。
そのためにいまは、文系脳では置いていかれるぞ、と思う。一般人が宇宙へ出ると言ってるのに、無線の意味がわからんとか言ってたら終わる。
だから科学や物理、数学は、わたしも学びなおしながら、その理数的な考察力を持ってこれからの時代の子どもが育ってくれたらと思う。
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