優しすぎた、心に沁みる兄のつくった味

エッセイ&コラム

あれは、22週でお腹のなかで亡くなった子を、入院して死産した翌日のこと。

病床に朝食が運ばれてきた。
たしか、食パンにジャム、牛乳かヨーグルト、そして記憶に深く残るポトフの味。

そのころ、つわりが続いていて、何を食べてもおいしくなかった。

それでも妊娠6週の初期の頃はトマトやイチゴなら美味しく食べられた。

22週の入院したその頃は軽くなったとはいってもつわりが続いていたし、完全に味覚も変化して、濃い味は受け付けなく、死産に向かう現実が重く頭をもたげ、何を食べても美味しくない。
そんな日々だった。

そして亡くなった子を産む処置をして、それらが全て終わった翌日。

もうお腹に子どもはいないのに、残るつわり。

その事実が辛かった。

だけど、病院の朝食のポトフ。
この味に救われたのを覚えている。

材料はみんなが知っているポトフそのもの。
ひとくち食べて、美味しいと思った。

野菜の出汁の味。
ほのかな塩気。だけ。

それが疲弊した身体と心に優しかった。
身体の求めた味つけだった。

何にも美味しくなかったのに、こんなふうに味つけすれば食べられるんだ。
頑張れと言われてる気がした。

病院食の素晴らしさを初めて知った朝。

あれから、6年経ち、ふとこの経験を思い出した。

コロナが流行って2年が経って、2022年の冬。
もともと持病に肺の病気があった父が入院した。

結果、元気に退院してきたんだけど、入院時は持病の肺の病気が悪化し、呼吸状態が悪く、もしかしたらの話もされたと母は言った。

父の肺の病気は風邪やコロナの感染で即重症化のリスクが高く、会うこと事態がリスキーで、コロナが流行ってから父とは2年半会っていなかった。
そのまま会えずに死んでしまうかもと焦った。

だから、父が入院したときの母の落ち込みは見ていて心配になった。

入院が決まったその夜、ひどく寂しがった母の家に、小さな子のいるわたしは泊まってやることはできなかったが、兄がその日に実家に行って泊まってくれた。

母は不安定な気持ちを兄に吐き出して聞いてもらうことができ、安心してその日を過ごすことができたようだ。

翌日、わたしも2人に合流した。

その時、母は、兄が毎食料理を作って食べさせてくれた、と嬉しそうに話していた。

兄は夕飯に豚汁を作って、出来上がったらわたしにバトンタッチして帰ると言った。

その豚汁に、兄は、豚バラ、ごぼう、にんじん、大根、ねぎを入れた。
誰でも知っている材料だ。

とにかく野菜はしかくくしかくく切ると言っていた。
大きめサイズ。

私と母が騒がしく話すなか、静かに黙々と作る兄。
「後は予熱で火が通ったら味噌を入れる」母に味噌はいつ入れるのか聞かれてそう答えた。

母は父の死を想像したり、入院時の大変だった状況を繰り返し話し、興奮したり、涙したり、私になだめられたりしていた。

兄もだいぶ落ち込んでいるのか、表情は暗い。
豚汁を作り終わって椅子に座り、私と母の話の輪に静かに入る。
もし、父が死んだ後の葬儀の手配や、墓はどうするかは、2人に任せたいという母。
兄はその話題からずっと逃げていたけど、対峙しないといけない時が来たんだなと、また少し目がうるむ。

話の大体の決着がついた頃、野菜に火が通ったのか、兄は再び鍋を確認した。
味噌を少しだけ入れて、豚汁が完成した。

兄は帰り、母とふたりで豚汁を食べた。
母は十穀米に大きな黒豆のようなものを一緒に炊いたおにぎりを出してくれ、それと豚汁を食べた。
普段から、父は白いご飯が好きで雑穀入りは食べないから、母は雑穀入りは自分のために炊いて冷蔵保存していると。

私は豚汁をひと口すすった。ごぼうの香りがした。優しい味だった。ごく少量入れただけの味噌のおかげで、野菜の風味や味が良くわかった。
大きめに切られているので食べ応えがあるが、規則正しく揃って切られた野菜は食べやすかった。

そして何より、疲れた心と体が拒否しない味だった。

この優しい味付けが心を逆立てず、癒していく、いたわり深い、今の傷ついた母にピッタリの味。
母は言っていた。
「何にも食べる気がしなかったのに、お兄ちゃんが作ってくれた料理でなんだか本当に少し元気になれた。」

わかる。わかるよ。この味はあの時の味と似ている。
前が見えなくて、悲しみしかなくて、どうしていいのかわからなかった日。
負けちゃいけないと思って食べた朝ご飯は、こんな味がした。

そっと疲れた心と体に寄り添う味があることを知っている。

普段言葉の多くない兄の優しい味が、母の心を癒して元気づけた。
料理で人を癒すことができるなんて、素晴らしいな。そう思った。

人は食べないとだめだ。

私は医療従事者なので、食べれる人の生命力が粘り強いことを良く知っている。
兄は医療従事者でもないのに、料理で母にそう言っている気がした。
母が兄の料理で、なんとか立ち上がり、気力を持ち直した。

優しい優しい心に染みた味。

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